知多市岡田の臨済宗の名刹 慈雲寺什宝展に行って来ました 


 千手千眼観音 慈雲寺のご本尊
 
岡田の臨済宗の古刹 白華山慈雲寺の什宝開庫展が、慈雲寺本堂において、慈雲寺什宝調査会による調査報告展示V(最終回)として、開かれていました。 
<仏像> 
円空佛が二体 他五体 
<掛軸> 
中興開山 虎渓和尚 頂相(ちんそう) (禅宗の僧侶の肖像画、または彫刻 のこと).
夢窓国師頂相、 沢庵和尚の  消息 (自筆で非常に珍しものだそうです)等々 計 105点
<陶磁器> 
雨乞いの壷  寺宝 .
 志野 茶碗  荒川豊蔵作 等々 計19点
 
白華山慈雲寺は、観応元年(1350年)、時の大野城(宮山城)主 一色修理大輔範光を開基に夢窓疎石(夢窓国師)を開山として創立された臨済宗の古刹です。以来、660年以上の歴史と大名寺としての格式を有し今日にいたっています。惜しくも、二度の大火で建物と什宝の大半を焼失してしまたそうです。 その為、現在残っている物は「多くは、元禄以降(1688年〜)のものです。」と、住職の話でした。
 
 
境内への参道より山門を望む 
 
 
知多四国第七十二番札所 白華山 慈雲寺 
 
   
春には、桜 、ツツジが満開となります。 
 
中興開基 寺尾家の家紋の刻まれた鬼瓦
今回、慈雲寺中興の開基 寺尾土佐守直龍(尾張藩年寄り)(藩の重役)のことについて初めて知りました。 
 
 
観音堂 
観音堂は、万次元年(1660)3月 尾張藩寺頭・寺尾直龍によって再建された。岡田では、最古の建築物である。 本尊の千手観音は、恵心僧都作と云われ、開山・一色範光の念持佛であると、伝えられている。江戸時代は、観音堂が本堂であった。慈雲寺什物として、観音が携臨されたという、「雨乞いの壷」が保存されています。
 

 一色氏と慈雲寺
 
 慈雲寺の境内に左側の墓地に、一色修理大輔範光の墓があります。(一色氏は、後に、お江が嫁ぐ佐治氏の主筋にあたります。)もともと、慈雲寺は、大野城下に在ったものを、範光の子詮範が、岡田の千光寺に移し、明徳三年(1392年)に再建されたもののようです。父、範光をこの岡田慈雲寺に弔った訳です。当時、知多半島は一色一族が守護職として、実行支配した関係で、大野谷を中心に、一色氏による、寺院や、城、砦が、多数造られていきます。大野谷にある時宗の蓮台寺が、正和三年(1314年)に、一色道秀が。一色範氏が大興寺を、貞和三年(1347年)に創設。一色満範が応永元年(1394年)に慈光寺を、それぞれ、建立。
 
 
 一色修理大輔範光の墓
 此の室町幕府の名門一族 一色氏もやがて、地元で台頭してくる新興勢力や、都での騒乱に、一族敵味方に分かれての抗争で次第に実力を弱めて、戦国の乱世の波にのまれていきました。範光の死(1388年)を悼んで書いたと言われる、時の摂政・一条良基の「悼文」の掛け軸が、寺宝としてのこされています。