蓮台寺に伝わる「お江」伝説               常滑市小倉町5ー66
尾張大野には、お江と佐治一成にまつわる話が多く語り伝えられています。 
 蓮台寺は、正和三年(1314年)、一色左京大輔道秀の創建。花園天皇の勅願所で、かっては、一山十七坊の巨刹でした。大師堂本尊像は、聖観世音菩薩像(常滑市指定文化財)。境内の古墳・寿山塚には宝経印塔があり、初代大野城主佐治駿河守宗貞の墓であると言われています。
 
蓮台寺山門と本堂   
境内の古墳・寿山塚には宝経印塔があり、初代大野城主佐治宗貞の墓があります。
 「衣掛けの松・開かずの門」
其の1、「衣掛けの松・開かずの門」 
 佐治家の奥方(お江の方)は、大野城落城の際、佐治家の守り本尊である阿弥陀如来の掛け軸を持って小倉の蓮台寺から大興寺をへて落ち延びていかれました。途中、つぼけに掛け軸をかくしていかれ、それを大興寺の土井氏がみつけ、大切に祀ったのが「大野谷虫供養の始まりだとも言われています。」蓮台寺に着かれたとき、敵が押し寄せる様子なので、着ていた衣を松の小枝に掛け、死を装い、姿を隠しました。それからこの松を「衣掛けの松」と言うようになりました。また、本門の西にある小さなくぐり門は、お江さまが入った門で、内からかたく閉ざして奥にはいられました。その時から、一度もあけたことのない門で「あかずの門」と言われるようになりました。
 
 其のU 「おきた・おぬい」にまつわる伝承
 佐治与九郎が大野城が落城してから師崎の千賀家へ厄介になったという説がある。この説に拠ると、与九郎には、「おきた、おぬい」 という二人の女子があって、千賀家で養育されて居たが、一人は盲女であったと。後須佐村に小居を構へて居たから、其地の百姓は、之を千賀家の主君の娘だと云って、今も、おきた脇と云って居るということである。さらに、地元では、「おきた」は寂しさのあまり、伊勢湾に入り入水自殺したと伝承されているようです。地元に伝わる「お江」伝説が、大野谷虫供養として、現実に大野の町衆に伝統的信仰行事と結びつき根強く、生き続けていると云うの事が大変興味く感じました。
尾張大野歴史資料館展示資料参照