知多三山の一つ 高讃寺 
高讃寺は白鳳十二年(684年)行基により天武天皇の勅願寺として創建されたと伝へられ、三百以上の堂宇を有する七堂伽藍を完備する大寺院でした。第八十二番札所観福寺、第四十三番札所岩屋寺とともに「知多三山」と呼ばれていました。天文六年(1537年)織田氏と今川氏の戦火に遭い、堂搭末坊の大半を失い、さらに文禄年間(1592〜1596年)にも兵火に遭い、七伽藍三百坊の巨刹は、南の坊一院のこすのみとなりました 本尊の聖観音菩薩立像は平安時代の作といはれています。 
 
戦国の天文6年(1537年)織田・今川両氏の戦火を逃れ御嵩の池の中へ隠し、江戸初期寛文年間、現在地へ「池の中から出てきた仁王様」が眼前のこの仁王様です。 
高讃寺の大ツバキ  常滑市指定天然記念物  推定樹齢350年 樹周り1.8 メトル大木に花一輪 色は紅色、花弁は八重  
行基による創建という伝承は、全国無数に語り伝えらていますが、行基に関する文献はほとんど残っておらず、はっきりとは分っていません 。行基は僧と云うより修験者として全国を行脚し、各地に土木的功績を残して、古い古刹は、行基創建と語り伝えられていっと思われます。高讃寺の創建が、天平、白鳳時代であるかは別として、知多郡では1〜2を競う古刹には違いありません。
 
 住所:常滑市西阿野字阿野71−1