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中島光明寺山門から本堂を望む |
知多市指定保存樹木のイブキの古木 |
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光明寺山門の横にヤケン地蔵の祠があります
ヤケン地蔵さん |
今から458年ほど前、天文二十三年(1554年)正月二十四日に織田信長は、緒川の村木砦の戦に今川方を打ち破り、海路熱田に帰る途中に、当時今川方に与した花井播磨守の居城である寺本城(堀之内城)を攻撃としたおり、夜の闇ではっきりと分からなかったので、松明(たいまつ)がわりに法海寺などの寺や民家に火を付けました。付近一帯は焼けたのに、この地蔵尊だけは焼けずに残ったそうな。それ以来、この地蔵尊は、「ヤケン地蔵」と呼ばれるようになったと言われています。 |
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中嶋山光明寺由緒書上帳 |
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この中嶋山光明寺が江戸時代前期 元禄年間に尾張藩寺社奉行所宛に提出した寺社由緒書上帳に関する興味深い記述がありました。(知多市誌 資料編 第四巻)、寺の由緒と年貢の基本台帳の申請書の性格を持つもので、寺にとっては大変重要な届書であったものと考えられます。 |
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表 紙 |
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本 文 |
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覚 書 |
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(本 文)
中嶋山光明寺は,本寺は寺本の庄平井村大祥院であり、開基は当寺の祥察、慶長拾年より
元禄 七 年迄九拾年、当代まで、五代に罷り成ります。
一、縁起・由緒・什物・御朱印・御黒印・制札・証文・証状、御座ません。
一、阿弥(陀)堂 一宇 この開基建立の詳細は判りません
一、阿弥陀の縁起・由緒・什物・御朱印・御黒印・制札・証文・証状、御座ません。
一、上記の通り相違御座いません。以上
元禄七年 戌閏五月
知多郡中嶋村 禅宗光明寺
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(覚 書)
一、光明寺、寺内の畑は年貢地で御座います。
一、阿弥陀堂地弐拾歩(20坪)、是は以前より、ご除地(年貢免除地)でした。
ただし、御朱印・御黒印・ 証文等、 御座いません。
一、光明寺祠堂金は、御座いません。
一、阿弥陀堂祠堂金(補修費等の準備金?)は御座いません。
上記の通相違御座いません。 元禄七年 戌閏五月
知多郡中嶋村 光明寺
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