知多四国第八十番札所 海嶋山栖光院。
本尊 聖観世音菩薩   
 愛知県知多市八幡観音脇25
寛文二年(1662年)に建立された観音堂に祀られる本尊聖観世音菩薩は、仏師春日の作と伝えられ、33年ごとに御開帳の秘仏となっています。
海嶋山 栖光院観音堂(本堂)  
栖光院名物の白壁築地塀 
山門をくぐると巨大なクスノキが現れます。樹齢840年です。知多市の指定番号1号の保存樹木 樹種 クス  
「この栖光院には、尺八伝説 が残っています。 
この栖光院には、寺宝となっている尺八があります。今から約百八十年前、第七代  住職だった石城(せきじょう)和尚は、人徳の持ち主であるとともに、芸の道にも秀でた方でした。ことに尺八にかけては、大変な名手で、村人たちは、和尚の尺八に仕事の手をしばしば休め、心の洗われる思いで聞き入っていました。
 ある日のこと、一人の旅の虚無僧(こむそう)が、栖光院のある小高い丘の上に登り、じっと海を眺めていました。やがて、持っていた尺八を取り出して、海に向かって静かに吹き始めました。一曲吹き終わると、丘を降りてきて、栖光院門に立ち、「石城和尚の噂を耳にし、尋ねてまいりました。尺八のお手合わせをお願いします。」と申し出ました。
 しばらく後、石城和尚と虚無僧は、寺の本堂で向い合って座っていましたが、まず、虚無僧が日を閉じて吹きはじめました。その音色は重くどつしりしたすばらしいものでした。続いて、石城和尚が自分の尺八を静かに吹き始めました。人の心を揺すぶるような美しい音色が寺中に響き渡りました。いつしか夕闇が迫る時刻となり、吹き終わった和尚の前からは、虚無僧の姿が消えていました。ただ本堂には、虚無僧の吹いていた尺八が残っていました。これが栖光院の寺宝となっている尺八にまつわる伝説です。(知多市教育委員会発行 「まちかど歴史探訪」より)」
 
「知多郡平井村栖光庵由来書上帳」について 
元禄年間に、尾張藩寺社奉行(寺社御吟味役…様)宛に提出した「知多郡平井村栖光庵由緒書上ヶ帳」に興味深い記述があります。  (知多市誌 資料編 四)
       
本 文  表 紙 
   
 石田治部少の乱(関ヶ原の役)のおり、平井村一帯が九鬼大隅守(鳥羽水軍の将九鬼嘉隆)による襲撃に遭い灰燼に帰した事が記述されていました。
法海寺、大祥院、寺本城、さらに、横須賀村にも戦禍は及び、「大里の大坊」弥勒寺など殆どの神社仏閣が九鬼水軍の兵火に遭っています。記録によれば、この時期、知多半島の伊勢湾岸地区の略全域が、九鬼水軍の焼き討ちに遭ったようです。寺院の由来書上帳は、年貢、租税の納税額を申告する今風にいうならば「確定申告」に相当する大変重要なお上への提出書類であったようです。以後、尾張藩は、寛政六年に「知多郡寺本村四ヶ村堂社御改帳」を寺社吟味役宛てに提出させています。新田等隠し田畑、祠堂金の有無、寺内の年貢地の再調査、その他、年貢の対象物件の洗い出しを受けているようです。