吉良町宮迫の円融寺 清水一学の墓所 『忠臣蔵』を題材にした創作物では、吉良邸討ち入りの際に小林平八郎とともに吉良側で最も奮戦した剣客として描かれる清水一学 (一角、逸学)の墓がここ円融寺の墓地にひっそりとたっています。吉良公の忠臣清水一学の墓所とあります。 清水一学は、吉良上野介義央公の所領である三河国幡豆郡宮迫村(現・愛知県幡豆郡吉良町大字宮迫)の農家に生まれ、幼名は藤作。農民の出身ながら武芸を好み、兄藤兵衛が吉良家の陣屋のひとつ岡山陣屋に勤めていたため、一学も幼少より剣術を習いに同陣屋に通ったという。二刀流だったと伝わる。義央公の目にとまり、一五歳で江戸に呼び寄せ、やがて中小姓にとりたてられる。赤穂浪士襲撃の夜、一学は奮戦し討ち死に、享年二五歳であつたそうです。遺骨は江戸の吉良家菩提寺万昌寺に葬られ、円融寺に分骨したようです。近くに、お参りに来ていた地元のひとに聞きました。清水一学さんの一族は宮迫には、今は誰もいないのではないかと!! |
明治、大正、昭和と活躍した境涯の俳人 村上鬼城が大正七年ここ華蔵寺に詣で、この句をしたためた。 行春や 憎まれながら 三百年 お気の毒な吉良様 三百年もの間 世間では憎まれなさった あんなに名君でありながら!! 吉良町歴史民俗資料館発行パンフレット 吉良町教育委員会案内板参照 |
華蔵寺住所: 〒444-0531 西尾市吉良町岡山山王山59 |